おとうさんおかあさんへ。死んでください。

母はアニメーターになりたかったのだという。瑞鷹に入りたかったのだという。親(わたしの祖父母)に反対されて短大に行った。ひとり娘だから無理だという理由だったそうだ。将来、面倒を見てくれないと困ると。だから大学に行けと言われたらしいが4年もしたくない勉強をするのは嫌だと短大にしたそうだ。わたしからしてみたら贅沢な話すぎてめまいがするが、母は至極本気だった。親(わたしの祖父母)のすすめでさっさと結婚して子を産んだ。わたしは3人きょうだいだ。しかも3人死産している。たくさん産むといいらしいという親(わたしの祖父母)のすすめでたくさん産みたかったのだろう。
というより、やりたいことができないのならもう全部どうでもいい、という気持ちだったんじゃないのか。母は。わたしもそうなったら同じことをするとおもった。言われたとおりにやったのに全部最悪になったじゃん死ねよ! ということで母は逃げたんじゃないだろうかとおもう。なぜってわたしもそうなったら同じことをするとおもうから。父はわからん。もう顔すら覚えてない。多分わたしがはたちになるくらいまで離婚してなかったとおもうんだけど、もうずっと家にいなかったし、いたとおもったら夜逃げの原因を作ってくるから逃げていなかったし、もうこのふたり(わたしの父母)に任せていたら全部終わると祖父が腹をくくって貯めて増やした家を買うための金も、結局父のせいで溶けて消えたし、あげくにちょっと足らずにわたしまで返済に動員されて最悪だった。
原因を探すとやっぱり祖父母なので巡り巡ってざまあだろうけど(これは母目線)、こっちからしてみたらたまったもんじゃない。が、わたしもそうなったら同じことをするとおもうし、わたしは父母に直接何かをされたわけじゃなかったので(ヤになったから逃げて結果そうなったみたいな感じ。そりゃ逃げるっしょ)、結局この世のすべて、自責で解決(するとは言ってない)! という、思考停止の術しか身に着けていない。

うわー。上手く書けない。おもっていることは海の水みたいにたくさんあるのに。言語化をはちゃめちゃに避けてきた箇所だから、全然うまく説明できない。まず子を産んで、どうしようもなくて逃げたみたいな思考回路を信じたくない。とくに父のほうの。でも同じことになったらわたしも逃げるとおもう。でも目の前のいのちが死ぬかとおもったら怖くて逃げられないような気がする。津波が来てもモルモットとか置いていけない。多分いっしょに逃げて、どうしようもなくなったら波にのまれてしまう。この考え方は、あんまり健康的じゃない。アトレイユの馬みたいにするのがおそらく正しい。だから父母は結構正しい。ただこっちからしてみたらたまったもんじゃないと言うだけで正しいとおもう。世論で言うとどうなるんだろう。一家自決とかうつくしいだろうから、責任とかだろうから、褒められるのはそっちだな。でもわたしは逃げるほうが正しいとおもう。じぶんが生きてなきゃ何もできない。だからと言ってお前たち(父母)のしてきたことが許されるわけじゃないけどな。
わたしは父母を赦したい。できることなら忘れたい。なかったことにしたいくらいだ。でも今父母が目の前に現れたらビールケースで死ぬまで殴りたいと感じる。ビールケースじゃなくてもいいけど。なんか鈍器がビールケースしか浮かばなかった。父母を赦したい。だってしょうがないんだもん。しょうがないから、もういいんですよにしたいけど、それはそれとして、はちゃめちゃな怒りと苦しみと憎しみと寂しさと悲しさがある。全部別々に独立している。あいまいにならない。混ざって適当な感じになってほしいんだけど全然ならない。全部がきれいにそろって箱に入ってそれを持ってる。そういう感じ。ああ、ビールケースはこれか。このビールケースで、父母をこの手で撲殺しない限りは、この箱の中身も消えないんだな。まいったな。一生ムリじゃん。でも人生は長いから、途中でどうにかできるかもしれないし。かもしれないし……。